私の『第四の人生』が始まります。

私は58才ですから、昭和26年(1951年 )に『第一の人生』がスタートしました。
3人兄弟の長男でした。幼い頃は母親と祖母の嫁・姑の争いが激しくて嫌な思いばかりでした。今考えてみれば仕方のない事ですが、小さな家の中に、母と父と父の母と、父の妹が2人(小姑)、そして私と私の弟2人。これでは母親もたまったものではありませんね。
私は大切には育てられたのですが、毎日、狭い家の中での母と祖母の争いは、耐え難い苦しみでした。幼い私は、どちらの味方になることも出来ず(父も同じでしたが…。)、この争いの原因は『家が狭いから』だと私は勝手に結論づけていました。
この頃の体験が私に『住宅会社』をさせたのだと思います。私は5000世帯の住宅を一生懸命に建設しましたが、その一件一件は、そこに住むご家族が、この家で『幸せ』になっていただきたいと本気で、真剣に考えていた事は嘘ではありません。お陰様でたくさんのご家族の家を建てさせていただきました。

『第二の人生』は私が25才の時、父が会社で倒れて、一週間後に49才で亡くなった時からでした。高給取りの父が亡くなって、祖母、母、妻と子供2人と、(当時)弟2人を中学、高校に行かせるのに、私一人の収入ですから、もうお先真暗で、不安を通り越して、恐怖心そのものです。
建設現場の肉体労働をして必死に10年間働き続けました。大学の同級生は全員ドイツ語の先生か、商社に勤めているのに、私だけが肉体労働者でした。悔しい思いも恥ずかしい思いもしました。しかしギリギリの生活の中で人にお世話になったり、お仕事をいただいたりすることが100倍も嬉しく感じて、人に対する感謝の気持ちはこの頃から今まで忘れた事はありません。なんとか家族の生活も安定し、私の会社の売上げも上がりました。この会社の創業期の苦労が、私の第二の人生でした。

さて調子に乗って自分の実力以上に会社が大きくなって、大失敗したのが私の44才の頃です。ここからが私の『第三の人生』となってしまいました。
反社会的組織との戦いでした。私は命を懸けて一歩も引かずに戦いましたが、盗まれた現金が5億円、妨害されて受注売上も35億円失ったのです。人生観が一変しました。それからは無手形、無借金経営を目指して、売上や利益を目的とした経営は止めてしまいました。そしてそれ以来、世の中に役に立つ仕事や、人様から喜ばれる仕事以外、私はやりません。

さて『第四の人生』が今年から始まりました。何故かと申しますと新規事業として始めた『ゴールドエイジ』が5年たって、新会社も丸3年が経過しました。まあ一言で言って、こんな『苦しい3年間』は私の人生の中で一度もありませんでしたね…。と言う事です。
私は私の持つ『全財産』をこのゴールドエイジにつぎ込みました。公私共に10億円近くのお金が無くなったと思います。しかし入居者には多少のご不満はともかく、喜んでいただいていますし、ヘルパーさんや働く仲間はイキイキ働いてくれています。地域や日本のお役に立っていると言う自信もあります。そしてお金の事はすべて私一人で解決していますから、誰にも迷惑はかけていません。

そんな『ゴールドエイジ』がやっと今年『黒字化』するのです。と言うことで、私の苦労は去年で終わってしまいました。そして私の『第四の人生』がはなばなしく(?)今年からスタートいたします。ありがとうございました。ですから入居者やそのご家族に感謝申し上げると共に、私のこの『第四の人生』を、もっともっと皆様のお役に立てられる様に今年からも努力致します。今後共ご指導の程宜しくお願い申し上げます。