私は『寮長さん』でしたね。

住宅の『ゴールドエイジ・マンション』は、この私の『寮生活』が基本になっています。

私は高校(麗澤高校・レイタク)の3年間は岐阜県瑞浪市(ミズナミ)で、大学の4年間は千葉県柏市で、合計7年間の『寮生活』をいたしました。そして高校でも大学でも『寮長さん』で60人、70人の下級生のお世話をしていましたね。大変でしたが、一言で言って、今思うと『最高に楽しい7年間』でした。
同じ様な年齢で、いっしょに生活するのです。食事をしたり、お風呂に入ったり。話し合ったり、時には喧嘩したり…。ずっと一つ屋根の下で生活するのですから、友達もできますし、意見の違う人達でも少し遠慮したりして、仲良く生活しなければなりません。酒を飲んだり、あばれたりもしましたが、皆んなで責任をもって、協力し合って楽しく生活することを勉強させていただきましたね。
ひつこいですが『私が寮長さん』ですから、そんな皆んなを調整しながらまとめる仕事は、難しいのですが、それが私のその後の人生に大変に役に立ちました。

三重県四日市市の中学(暁中学)を出て、すぐに親元を離れて15才で寮に入りましたから、おばあちゃん子のわがままで、甘えっ子の私の人生は、ここから始まったと言えますね。
大変な苦労をしました。何回も寮を逃げ出して家に帰ろうと考えました。実際に逃げ出して、家に帰った同級生は一人や二人ではありません。全員家に帰りたいと考えていたのではないでしょうか。『ゴールドエイジ』に入居して3ヶ月か6ヶ月間ぐらいは、不安で落ち着きませんね。それは若くても、高齢者でも同じです。環境に慣れるまでは誰でも不安で、逃げ出したくなるんですね。私も全く同じでした。
しかし『住めば都』ですし、『遠くの親戚より近くの他人』です。だんだん寮生活が楽しくなってきたのが、1年ぐらいたってからでしょうか…。もうそれからは、私は家に帰りたくなくなってしまいましたね。それだけ同年齢で気心の知れた、友達のたくさんいる寮での生活が楽しくなってしまいました。
いい事ばかりではありません。喧嘩したり反抗したり、人の悪口を言ったり、もめ事もたくさんあるのです。しかし楽しかったですね。
まあ、と言う事で私はそれが忘れられなくて、国が高齢者の住宅の法律を作った5年前に、『高齢者の寮生活』をやろうと決心しました。そしてこの『ゴールドエイジ』を全国に12棟も建設したのです。

理想に燃えて始めた事業ですが、苦労は付きものですから、理想を実現するのは、並大抵ではありませんね。しかし私はゴールドエイジの『寮長さん』ですから、これからも全力で努力して『寮生』である『高齢者』が、まあ色々問題もあるけど、ここにいて『良かったね』『楽しいね』と言っていただけるように早くしたいと願っています。

人生とはおもしろいものです。何のご縁か分かりませんが、ゴールドエイジに入居していただいて、私、寮長さんの経営もまだまだ未熟でご不満もたくさんあるでしょう。しかし、多くの皆さんが、ヘルパーに感謝して、優しくしていただいて、楽しんで生活していますね。

お礼を申し上げます。ありがとうございます。感謝。感謝です。