【高齢者】伯母は『満97歳』で他界いたしました

 ありがとうございました。お世話になりました『ゴールドエイジ』の館長さんはじめヘルパーの皆さんに心からお礼を申し上げます。

 私の伯母さんが、骨折のあとの1ヶ月の入院から帰った後には歩くことも座ることもできなくなっていました。もうびっくりでした。それで半年前にゴールドエイジに入居させていただいて、皆さんに大切にお世話していただいて、本人も家族も大変に喜んでいました。そして一週間入院して亡くなりましたが病名は無しです。満97歳ですから老衰で大往生でしたね。

 それは幸せなことだと私は思いましたが、伯母さんの立場になれば、『生病老死』と言いますか、壮絶な97年間の人生であったと思います。大正5年に生まれて、戦争を経験して、戦後の苦労の中で子供を生んで育てて、孫やひ孫の顔を見て嬉しそうにしていましたが、大病や大手術もしました。そしてまた骨が折れて、身体が動かなくなって、ベットの上から動けなくなってしまって、生命の火が消えるように老衰で亡くなりました。

 『ヨシコちゃん』これは私の子供の時からの名前です。『芳彦』ヨシヒコですが、ヒをはぶいて私はいつもヨシコちゃんでした。50歳の時に名前を変えまして『議道』ヨシミチになったのですが、伯母さんには関係のない名前ですから、亡くなるまでずっと『ヨシコちゃん』だったんですね。

 そして私に伯母さんはいつも泣きながら言うのですが、『生きとることは辛いなー』『早く死にたいわ』でした。私は『なにを言うとんの、長生きは幸せなことやに』『もうこうなったら100歳超えて市長に表彰状もらわなあかんな』と言って笑ってたんですが、まあ伯母さんの立場になれば、あー生きるということは本当に辛くて苦しい事だったんだなー、と亡くなってしまうと今さらながらにそう感じてしまいます。人というものは自分で体験した事しか理解できません。私は97歳になっていないのでやっぱり伯母さんの苦しみが全然理解できなかったんですね。申し訳ないことでした。

 さてこれは真面目な話ですが、入院中の伯母さんがそろそろ危ない、というので私はお寿司を持って最後の面会に行きました。そして伯母さんに『死ぬ準備』をさせてやろうと思って私は行ったのです。

 ①まず息を引き取る時に体はそこにあるのに、自分の目と意識は体を離れ始めます。②本人は自分がどうなったか分からなくて、自分が死んだことがすぐには理解できませんね。③やはりはっきり自覚して落ち着くのに49日ぐらいかかる場合が多いのです。④そして誰かが迎えに来るのか、呼ぶ声などが聞こえます。⑤はい、これで霊界の仲間入りですね。

 ⑥死ぬということはあの世で生まれるということです。生きても死んでもたいした違いはありません。⑦そして霊界での新しい生活が始まるのです。⑧それが幸せな生活なのか、不幸な生活なのかは人によって全く違いますね。⑨原則、この世での行いが来世での生活のレベルを決めるのです。⑩そして日本人の場合は平均的に250年に一回の転生を繰り返して何千年も生きつづけるものです。⑪ちなみに来生で死ぬことは現世に生まれるということですね。

 はい私は『死後の世界専門家』だということをお忘れの方は思い出していただきたいものです。私は何百冊の本を読んで、ヨガ業をして、体験して経験して26歳から37年間も勉強したんですね。

 さて失敗ですが伯母さんには教えられませんでした。楽しい話ばかりして、お寿司を食べて終わってしまいました。残念でしたがまあなんとか伯母さんは来世への移動はスムーズにできたことでしょう。冥福を祈ります。